この作品と言えば、加藤清史郎くんが主人公・直江兼続の少年時代・与六を演じたことで有名。当時は無名だったが、本作の演技で視聴者から、あの子役は誰かと問い合わせる電話がNHKに殺到した結果、回想シーンでの再登場、そして兼続の息子役としての出演が決まったらしい。与六役としては2話しか出演していないのだが、そうは思えないぐらい彼は印象的で私もよく覚えている。5歳で喜平次(のちの上杉景勝)の小姓となり、親元を離れて共に寺で修行することになるのだが、「わしはこんなとこ、来とうはなかった!」と言って雪のなか逃げ出し、そんな彼を主君である喜平次が追いかける。そんなやり取りを通じて、口べたで感情表現が苦手なため小姓たちと打ち解けられずにいた喜平次も、与六に心を開き始め、主従の絆を結んでいく、という展開だ。子どものかわいらしさと、涙なしには観られないストーリーが相まった、名シーンである。
そんな上杉景勝を演じたのが、北村一輝さん。北村一輝さんといえば『北条時宗』で平頼綱を怪演した印象が非常に強いが、今作では打って変わって寡黙で不器用な上杉景勝を演じていた。何をやってもかわいそうなぐらい怪しく悪く見えた平頼綱から、何をやってもかわいそうなぐらい不器用で口べたな景勝へ。北村一輝さんって本当にすごい役者さんだと思わされた。
直江兼続というと、大きく「愛」の一字をあしらった前立ての兜が有名である。その事実から本作では兼続を、「愛」を重んじ「義」を貫き通した武将、涙もろく心優しい青年として描いており、兼続役の妻夫木聡さんの泣き顔が何度も登場した。しかし、現代人が考えるような「愛」の概念は、明治維新以降に欧米から入ってきたものである。それ以前の「愛」というのはすなわち「愛欲」であり、より即物的なもの。無論、そんな言葉を前立てなんかにするはずがない。作中では、仁愛の「愛」を採ったことになっているが、であれば「仁」のほうを採りそうなものなので、私はやはり軍神である愛染明王への信仰によるものではないかと考えている。主君・上杉景勝の養父である上杉謙信は「毘沙門天の生まれ変わり」であるらしいし。
一方で「義」に関しては、上杉謙信から教えられた、景勝・兼続主従の根底にある考えで、この作品の軸とも呼べるものである。景勝・兼続主従以外にも「義」を象徴する人物が登場する。兼続の親友という設定である石田三成である。陣営は違えど、互いに最大の理解者としてこの作品では描かれている。三成を演じた小栗旬さんは『秀吉』でも三成の少年時代を演じており、当時の映像をモノクロ化したものを本作品で回想シーンとして使用している。
この大河では私が違和感を持った点がある。それは、織田信長を吉川晃司さん、豊臣秀吉を笹野高史さん、徳川家康を松方弘樹さんが演じた点だ。それぞれの役と人は合っていたと思うのだが、年齢的にかなり違和感があった。1965年生まれの吉川晃司さんに「猿」なんて呼ばれて頭を下げている1948年生まれの笹野高史さん、さらにその死後天下を取るのが1942年生まれの松方弘樹さんという、おかしな構図が生まれてしまっていた。信長は若くして(といっても47歳なので、当時ではさほど若くもないのかもしれないが)亡くなっているのに対し、秀吉と家康は長生きしたので、それぞれの晩年は特に、むしろかなりしっくりきていた。大河ドラマは長い期間を描くので、それぞれの人物のどの時代にフォーカスを当てるか、また主人公との関係など、様々なことを考えてキャストを決めるのだろう。すべての整合性をとるのは難しいのだろうなと思う。
リンク
Wikipedia 天地人 (NHK大河ドラマ)
キャスト、スタッフや概要はこちら。
鎌倉ではたらく太守のブログ
「直江状」を超訳してみた
https://takatokihojo.hatenablog.com/entry/2016/08/30/003000
直江兼続といえば、徳川家康にケンカを売った「直江状」が有名だが、その内容はよく知らないという人も多いのでは。2016年の大河『真田丸』を入口にしたブログではあるが、分かりやすかったのでご紹介。
仏像ワールド 愛染明王
https://www.butuzou-world.com/dictionary/myouou/aizenmyouou/
兜の前立ての「愛」の一字について、私は愛染明王から採った説を支持しているが、そもそも愛染明王は現代人にとってはあまり馴染みがない。愛染明王はじめ、様々な仏像について解説したサイト。